東京オリンピック日本代表の石川佳純のプレー。一見どうということのない写真に見えるが、実は卓球競技の本質が見事に現れている。
それはラケットの角度だ。普通、これほどラケットを寝せて打ったらボールはどの方向に飛ぶだろうか。中学校の理科で習う「光の反射の法則」を思い出すまでもなく、ボールが平面に衝突したとき、普通はその入射角と反射角はだいたい同じになる。
それを意識した上でもう一度上の写真を見ると、極めて異常なことに気がつくだろう。入射角と反射角が同じになるとすれば、この角度で当てたらボールは真上を通り越して石川の顔の方に飛ぶことになる。とんでもないミスになるはずなのだ。
ところが実際にはそうはならない。この場面では相手のボールに激しい「下回転」がかかっているからだ。「下回転」は、ラケットに当たるとボールが下に跳ね返る性質があるため、普通に当てると真下に落ちる。そのため、ラケットを上に向けることでやっと相手の方に打ち返すことができるのだ。
この場面では、回転がかかっていない場合の反射方向に対して、そのズレは120度にもなっている。回転によってボールが跳ね返る方向がこれほどまでに変わり得るという卓球競技の本質をこの一枚の写真は物語っているのである。
当然ながら、ラケットをどの程度の角度にすればよいかは相手の回転の「量」によって違ってくる。ほとんど回転がかかっていなければ、普通に跳ね返るのでラケットは立てなくてはならないし、弱い「下回転」なら、中ぐらいに上に向ける必要がある。逆に、上に跳ね返る「上回転」の場合には、ラケットを下に被せる必要がある。
相手の打ち方から回転を判断し、瞬時にそれに適したラケットの角度を出せるかどうかが勝敗に直結する。しかも、高く入れたら打ち込まれるから、できればネット上空20センチほどの範囲に入れたい。そのための打ち出し方向の範囲は角度にして10度ほどだ。
これらの写真のように、遅いボールに対してほとんどラケットを振らずに打ち返すだけなら、一見誰でもできそうに見える。実際、打球の瞬間だけ見れば特別に神秘的な技術はない。しかし現実には限られた人にしかできない。まぐれでもない限り、この角度を選択できないからだ。その意味でこれは情報戦なのである。
そうした卓球競技の回転にまつわる精妙な攻防が、選手のラケットの角度の違いにはっきりと現れている。そしてそれは選手の何万時間もの修練の成果なのだ。
しかし、こうしたことがテレビのスポーツバラエティや試合放送で語られたことは、私が知る限りただの一度もない。「わかりやすさ」の名のもとに、それらは丸々切り捨てられているのだ。なんともったいないことだろう。